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2022年2月 2日 (水)

「家康@ふじのくに」しかみ像、三方ケ原の戦いと関連ない?

 昨日のテレビ「KAT-TUNの食宝ゲッットゥーン」。
https://www.tbs.co.jp/get-tun/
「静岡 東伊豆町」稲取キンンメ
*伊豆No.1 キンメ漁師 番人 鈴木 精
※1本の竿に仕掛け20個
  ハダカイワシの仲間、チヒロエビ
《お食事処 笑の家》
*食宝の料理人 西塚 孝男
※稲取キンメ:
 旨みとなる脂肪が多く柔らかい
【稲取キンメの刺身】
 熱湯で身を引き締める。氷水で旨味を凝縮。
・稲取キンメ エラの筋肉
・芋焼酎
【稲取キンメの煮付け】
 酒2、みりん2、醤油1、砂糖1で強火で約10分煮る。
 脂で味が染みにくい。煮たてて泡で身を包む。濃い味付けのタレにたっぷり絡めて食べる。
【稲取キンメの出汁茶漬け】
 出汁:カツオ、金目鯛のアラ、醤油、塩

 「ヒロシのぼっちキャンプ Season2」は、第5話「初秋キノコの森へ」。
https://bs.tbs.co.jp/botticamp/
《得々市場》大月市
 ・黒毛和牛
 ・ワインたまご
 ・白菜
 ・玉ねぎ
 ・黒烏龍茶
※ぼっちキャンプのポイント:
 昼食は手軽に済ませたい。
 ・マルちゃんの生ラーメン 味噌 198円
 ・燻製屋 ウインナー
《清水バンガロー》山梨県小菅村
 多摩川源流 小菅川沿いのキャンプ場
*ヒロシの愛用品file. No4:ザック(容量3ℓ)
 仕切りが多く、用途別に道具が収納できるリュック。
・カラビナ:
 ロープなどを素早く確実に繋ぐ金属製のリング
・メッシュのインナーテント:
 地面からの水や虫の侵入を防ぐ。
・防水ダウンシュラフ:
 防寒性と防水性を兼ね備えた寝袋
・フライシート:
 インナーテントの上を覆い雨風から守る
※ぼっちキャンプのポイント:
 視界を調整して、プライベート空間を確保する。
*ヒロシの愛用品file. No5:1人用の鍋
 軽量でコンパクトなスチール製の鍋
・携帯式ガスバーナー:
 家庭用のカートリッジで手早く加熱できる。
・浄水ボトル:
 水の不純物を取り除く。
【ラーメン】
 長ネギ、ウインナーを切って入れる。

 「うまい!の極み」。
https://hicbc.com/tv/umainokiwami/kiwami/20220201/
《焼とり てっぱん葵町》
名古屋市東区葵2-14-7
TEL 052-933-6882
・焼とり 鉄板(純けい)
  親鶏(雌)のもも肉を使用

 「ホメられたい僕の妄想ごはん」は、第5話「麗しの天玉そば」。
https://www.tv-osaka.co.jp/moso_gohan/recipe_vol_05.php
【天玉そば】
『材料』(2人分)
・ゆでそば・・・2玉
・玉ねぎ・・・1/4個
・にんじん・・・1/2本
・三つ葉・・・1/3束
・小麦粉・・・大さじ3
・冷水・・・大さじ3
・揚げ油・・・適量
・かけつゆ(めんつゆ+湯)・・・適量
・卵・・・2個
・七味唐辛子・・・適量
『作り方』
①玉ねぎは薄めのくし形切り、にんじんは短冊切り、三つ葉はざく切りにする。ボウルに小麦粉と冷水を入れて混ぜ、野菜を絡める。
②2等分にして、180℃の油で両面1分ずつ揚げる。
③器にそばとかけつゆを入れて、生卵を落としてかき揚げを盛る。好みで七味をふる。
【大葉おにぎり】

 「KinKi Kids!のブンブブーン!」は、「青森県の魅力を伝えたい!」。
https://www.fujitv.co.jp/bunbuboon/past220122.html
*名スポット部門
・冬にしか見られない青森の絶景①:八甲田山の樹氷
 0度以下になった氷の粒が冷えて樹木にぶつかってくっつき凍りついて成長したもの。
・冬にしか見られない青森の絶景②:奥入瀬渓流(おいらせ)の氷瀑
 氷瀑:滝が氷結すること。奥入瀬渓流では、近年12月~翌年3月の間ライトアップのイベントを開催。
・冬にしか見られない青森の絶景③:西目屋村の乳穂ヶ滝
 乳穂ヶ滝は1本の氷の柱のように氷結する。完全氷結することは非常に稀なため運がよくないと見られない激レア絶景
・ちょいコワすべり台
 <つがる地球村スポーツパーク>チャイルドウッズ
 <道の駅 十三湖高原>全長136mの超ロングすべり台、レインボーすべり台
*スーツ部門
【王林流りんご煮】
『材料』
・りんご … 1個
・赤ワイン … 100cc
・水 … 100cc
・砂糖 … 50g
・シナモン … 適量
・レモン汁 … 大さじ1
『作り方』
①りんごは芯を取って皮をむき、適当な大きさに切る。
②鍋に水、砂糖、レモン汁を入れてとろみがつくまで中火で煮詰める。
③りんごがやわらかくなり、水気がなくなってきたら仕上げに香りづけのワインとシナモン入れてさっと煮る。
 ※お好みでアイスやヨーグルトにかけても美味しく食べられます。
・ナチュール青森  あおもり生プリン(塩カラメル) 4個セット 2,894 円(税込)
  青森県田子町の名物「緑の一番星」という卵を使用。
*お祭り部門
・青森ねぶた祭
・弘前城雪燈籠まつり
・弘前ねぷたまつり
  平面で扇型の「ねぷた」の山車が笛や太鼓のねぷた囃子とともに弘前の街を練り歩く。
・おこもり
  毎年12月15日と翌年の1月15日にかけて行われる神事で、牛滝地区の漁師たちが漁の安全と大漁を祈願して行われる。
  お膳の内容は白米、八杯汁、たくあん、ぜんまいの辛子和えの4品が並ぶ。「めし」「しる」など大声で給仕役を催促し、給仕役もまた強いて食べさせる。
  100年以上続いているがなぜ大声を出すのか、おかわりするのかは不明。
*お酒部門
・三浦酒造株式会社 豊盃 純米吟醸 豊盃米 1.8L 3,575円(税込)
  津軽地方で家族が営む小さな蔵で製造。りんごのような甘味や酸味が特徴
・貝焼き味噌
 ホタテの貝殻を鍋のように使い、味噌やホタテ、卵を入れ、煮込んだ青森定番のおつまみ
・ヤマモト食品株式会社 つる太郎 135g 324円(税込)
  粘る昆布と米麹を合わせた青森で人気の醤油漬で豆腐やご飯にかけても美味しい。
*津軽弁クイズ
 ※「光一 からきじばしってねんで あおもりこいへ」
  「光一 わがままばかり 言っていないで 青森に来なさい」
   からきじ:ニュアンスとして「強めのわがまま」のこと
 ※わいは:びっくりした時
【王林流Wアップルハイボール】
『材料』
・りんご 1/6 … 2個
・カットレモン … 1個
・ウイスキー … 30ml
・炭酸水 … 適量
『作り方』
①りんごを半分にカットして、さらに1/3にする。
②1/3にカットしたものを、1つはすりおろしに、1つは千切りにする。
③氷を入れたグラスにウイスキーを入れる。
④すりおろしたりんごを果汁ごと入れて炭酸水で割る。
⑤千切りしたりんごをのせる。
⑥カットレモンをグラスに添えて完成。
・花万食品株式会社 なかよし 80g 756円(税込)
  八戸名産のいかで特製チーズを挟んだ青森で愛されている定番のおつまみ。

 「JAF」より、メール。「若鯱家 飲食代10%割」の案内♪
https://area.jaf.or.jp/area/2022/02/chubu/aichi/special-benefits/wakasyachiya?utm_campaign=koho&utm_source=own_mail_2022020203&utm_medium=email&j
酔待童子の今夜も飲みましょ(^^♪糸魚川市の”ブラック焼きそば”
http://yoimachidouzi.livedoor.blog/archives/12537077.html
カメラを持ってぶらりと散歩♪熱々”ボリューミー”な焼肉定食
https://burablo.livedoor.blog/archives/85934321.html
夏休みの昼ごはん
https://blog.livedoor.com/series/35
みちくさんぽ♬(人生道草散歩)凍りついた池で見た不思議な光景
http://sakurasaku64.blog.jp/archives/1977195.html
ライフハックちゃねる「若者」って何歳までだと思う?
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51763445.html

 2022年2月2日 16時48分配信の「【速報】東京の新規感染2万1576人 過去最多で初の2万人超え」というニュース。
テレ朝news
 新型コロナウイルス、東京の新規感染2万1576人。過去最多で初の2万人超え。
https://news.livedoor.com/article/detail/21611448/

 2022年2月2日 16時48分配信の「吉村知事、オミクロン株「インフルとは違う。対策も拡大」新規感染1万1200人前後」というニュース。
デイリースポーツ
 大阪府の吉村洋文知事が2日、大阪府庁で会見。この日の大阪の新型コロナウイルスの新規感染者数について「本日の陽性者の数は1万1200人前後になる。詳細は夕方に発表する」とした。1日は過去最多となる11881人だった。
 大阪で1日に判明したコロナ感染による死者が18人。増加していることに関して、吉村知事は「お亡くなりになる方を1人でも減らしたい。現状は亡くなられたらすぐに発表するというスタンスをとっている。高齢の方が多い。感染が高齢の方に広がりつつある。若い世代から高齢者にという状態に入っている中で、持病があったり、重い疾患を持った方も多くいらっしゃる。(オミクロン株は)デルタより重症化は少ないといわれても、そういう方は重症化するし、お亡くなりになる方も出て来てしまう」と説明。
 「今後、重症者が増えてくると思うが、高齢者への治療、対応が大切になってくると思って動いている」と続けた。
 また、オミクロン株とインフルエンザの比較について言及。「インフルエンザと同じとは思っていない。これだけ感染力が強い株。いまインフルエンザはほぼゼロ。去年もほぼゼロ。マスクとか手洗い、うがいの感染対策を徹底してやることによってインフルエンザはほぼゼロだが、これだけやってもオミクロンは(これまでの)インフルエンザ以上の拡大スピードで増えている。陽性検査も全部キャッチできてるとは到底思えない。若い世代の重症化事例は少ないが、一方でリスクのある高齢者に伝播していくと病床は埋まってしまう」と見解を示した。
https://news.livedoor.com/article/detail/21610844/

 2022年2月2日 6時5分配信の「「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー」という記事。
デイリー新潮
 養老孟司さんが、悩める若い人に向けてわかりやすい言葉で語りかけたロング・インタビュー。収録されているのは、自身が編集に携わった、ムック『養老先生と遊ぶ』(2005年刊行)だ。
 旧知の編集者を相手に、対人関係が苦手だった青春時代、苦痛だった組織人時代についても赤裸々に語っている。東大に勤務している頃には、毎晩ウイスキーのボトルを空けていたような時期もあったというのだ。
 そこからどう脱したか。いままさに「壁」に当たっている人には励みにもなるのではないだろうか。刊行から時間が経ち、現在は入手困難となっているムックからの発掘インタビューをお届けする(一部、原文に改行など修正を施しています)。
 ***
いろんなことができ始めたのは中年になってから
―対人関係は苦手とはいっても、医者になろうとされたわけですよね?
 母親が医者でしたからね。最初は虫を専門にしようと思ったんです。でも、調べたら、虫が思う存分できそうだったのは、九州大学だったんです。それを母親に言ったら、「そんなに遠くに行くのはやめろ」と大反対でした。父親はぼくが4歳のときに死んでいましたしね。
 『ヒトの壁』の帯にも使われた養老さんと猫の「まる」の写真。 まるが生まれて初めて取材を受けた時の一枚
 そこまで言われたら、まあ、虫はいつでもできるかなあ、と思ったわけです。その後、大学をやめる60歳近くまで、できなかったけどね(笑)。
 それで、医者は医者でも、精神科医になろうと思ったんです。だけど、希望者が多くて、クジに外れちゃいました。そこで、考え直したんです。これは臨床を選ぶな、ということだなあと。だから、大学院に行くことにしたんです。
 病気はコロナだけじゃない。そして、死は誰にでも平等にやってくる。新型コロナウィルス禍と五輪、死の淵をのぞいた自身の心筋梗塞、愛猫まるの死――ヒトという生物であると実感し、2年間の体験からあらためて問い直す。人生そのものが、不要不急ではないか。それでも生きる価値はどこにあるのか。84歳の知性が考え抜いた、究極の人間論!
 時代は今と違っていてね、昭和30年代、右肩上がりの時代だったんです。だから、やってみて食えなくてもなんとかなるだろうっていう腹です。「流れ」ですね。
(略)
 「スルメを見てイカがわかるか」と何度も解剖の意味を問われ続けて、60歳すぎて、答えが出ました。「スルメを作っているのはおまえたちだろう」って。生きている人間を「情報」としてしか扱ってないんだから。(注:養老氏の専攻している解剖学について、「死んだイカ=スルメをいくら見ても、生きているイカのことはわからないだろう」という類の疑問をぶつけられた経験について語っている)
―60歳まで答えが出ないことがあるんですね。
 そうですよ。そんなに簡単にはいかないですよ。それって悪いことではないんですよ。むしろ逆です。なにかをしていくときに、簡単じゃつまらないじゃないですか。
 比叡山の千日行(せんにちぎょう)ってあるでしょう?
 あれですよ。修行なんです。解剖は修行でした。絵描きとか彫刻家っていうのは、絵とか彫刻とか形になるからわかりやすいよね。論文がその形かというと、あれは、言語にまとめる、ただの「情報化」の作業ですしね。
 「なんで解剖なんてやるの?」って言うけど、修行というのは、やった自分こそが作品じゃありませんか? 千日行なんて、山の中を歩くそのこと自体が世の中の役に立つわけじゃないでしょう。それ自体に意味があるというよりも、それをやったその人にとって意味があるということです。だから「修行」だと思うとね、いろんなことができますよ。
 本気で業績をあげようなんて思っていなかったせいでしょうけれど、いろんなことができ始めたのは中年になってからです。昔から、母親にも親戚にも、「あんたは長生きしなくちゃ損だよ」といわれてましたけど(略)。
―お母さんは95歳まで長生きされたんですよね。それを考えると、人生の先が長いですね。
 そうそう。覚悟しろっていうんだ。
―誰に言っているのかわかりませんが……先生はしつこいタイプですね。
 追求型と言ってください。人生は「ドラゴンボール」なんです。
―マンガの「ドラゴンボール」ですか?
 あの話はどんどん未知の世界に出かけて自分がバージョンアップしていくでしょう? 結果がわからない。あれを読んだり見たりしている子供のほうが、大人よりもよっぽどいろんなことをわかっているんじゃないかな。
 人生は、マラソンになるもんなんですよ。人によって結果はわからないから、ぼくみたいに解剖を「やれ」とは誰にも言えないけれど。これをやったらこうなるよ、なんていう因果関係は言えませんからね。
東大をもっと早く辞めればよかった
―今までの人生で後悔をしていることはありますか?
 なし。後悔は、しません。起こった事はしょうがないことでしょう。でも、上手にいいほうに変えることはできます。大学の人事なんて見ているとつくづくそれを思いました。だれかがあるポストにつくとする。そうすると「なんであんなヤツが」と大モメに揉める。それよりも、決まったことを受け入れて、こうしよう、と決めて行動するほうがいいんですよ。だから、人事なんてものはいちばんの苦痛のタネでした。もっと気の利いたことをできるだろうに。
(略)
 これはもうモタないなあ、と思って東大を辞めることを決意したのが55歳のときでした。片付けや引き継ぎで2年延びて57歳で辞めました。辞めた当日は、日差しが明るく見えて周囲の輝きが違ってましたよ。もっと早く辞めればよかった。会社でも大学でも、とにかく組織が合わなかったんです。
 遊牧民タイプかな。夕方になるとちょっと寂しくなったりします。チベットを歩く夢みたり、ブータンにはこんなことがあるだろうかと考えたり。言わせてもらうと、ロマンチストなのかもしれませんよ(笑)。
―ロマンチストの解剖学者、ですね(笑)。以前の先生をご存じの方からすると、今は人の話を聞くようになったそうですね。
 そうなんですよ。10年前まではひどかったらしいんです。自分ではわからないんだけど、人の話を聞かない嫌なやつだったみたいで、10年以上前にあった人には全員に謝っておきたいね。そういう人がいたら、謝っておいてください。ぼくも変わったんでしょうね。
 毎日死体を見ていると「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思う
―大学を辞める頃にがんを患ったという噂を聞いたのですが……?
 大学を辞める頃に、肺に影が見つかったんです。「疑いがある」というんで、CTの予約の空きを待っていた1週間は、まじめに死ぬことを考えました。勤めもクソもない、仮にガンだったらもう死ぬんだ。そう考えたら楽になりました。
 1週間後の検査で、ただの昔の結核の影だったということがわかったんですけどね。でも、この結核の影はぼくへのプレゼントなんだと思ったんです。
―そのおかげで東大を辞める決心がついたということですか?
 それもあるし、本当に「生きる」ということを考えましたからね。
―自殺を考えたことというのは、ありましたか?
 ありませんよ。
― 一度も?
 大丈夫ですよ。
―大丈夫とは?
 毎日死体を見ているとね、「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思うわけなんです。どんなに崖っぷちに立ったとしても、自殺する人の気持ちはわかりません。慌てなくても死ぬんだから。死亡率はだれだって100パーセントですから。
 そんなことにはもっと早く気づくべきだったと思います。
 昔はなにを気にしていたんでしょうね。全部忘れちゃった。
一晩にウイスキーを1本空けることも毎晩のことでした
 お酒を今はまったく飲まなくなりました。昔は、相手がいれば、ストレスを解消するために飲んでいたんです。一晩にウィスキーを1本空けることも毎晩のことでした。お店の人から「飲みすぎだよ」って注意されてましたからね。40代がいちばん飲んでいましたね。外部とのつきあいがはじまって、そのときに媒介になってくれたのが酒だったんです。しゃべれない自分でも、お酒があると他人としゃべれるようになったから。
 でも、今は要らなくなりました。お酒のかわりに、猫がいればじゅうぶん。
 ***
 ここで触れている猫が「まる」で、その後テレビ出演などを通じて人気者となっていくが、一昨年に旅立った。養老さんの精神を安定させるのに重要な役割を果たしていただけに、新著『ヒトの壁』にはまるを失った悲しみが哀切あふれる文章でつづられている。
デイリー新潮編集部
https://news.livedoor.com/article/detail/21608307/7

 2022年1月22日の「この人」は、「フグの消費拡大を目指す NPO法人理事長 亀井 一洋さん(71)」。
 フグの消費拡大を目指すNPO法人ふぐ食応援大使の会(東京都)の理事長に就任し、昨年11月から活動を始めた。「江戸時代にはお家断絶や命を懸けてまで食べていたほどうまい魚。多くの人に味わってもらい、日本経済の回復に貢献できれば」と意気込む。
 会員は約90人。和食、フレンチ、イタリアン、中華料理界の著名人も名を連ねる。料理コンクールを開いて食材の用途を広げ、技術検定制度を設けて若手料理人の向上心を高めたい考えだ。動画サイトを持つ人には「スーパーで買えるフグをおいしく食べられる調理法を紹介して」と働き掛け、食卓への普及も狙う。
 理系の大学を卒業後、実家の京都市北区のふぐ料理専門店で修業し、29歳で後を継いだ。京都府ふぐ処理師試験で長年、鑑別や実技の審査を担当。全国ふぐ連盟会長としては「国内で処理したフグの安全性を輸出先で担保できない」と免許制度改革を訴え、認定基準の全国的な平準化も進めた。
 コロナ禍には持ち前の探究心を発揮し、店で料理研究に没頭。開発したスパークリングひれ酒は「丁寧な処理で臭みを除去した自信作」と胸を張る。
(小沢伸介)

 今日の仕事・・・。
 いっぱい、一杯でやっています・・・。なんとか、できた!!!

 でも、帰宅して「持ち帰り仕事」をする!!!勤務時間内じゃあ、終われないです!!!その保証もないです・・・!!!???

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 夕方は、年末に、100g105円で買った「台湾産大西洋 刺身用びんちょうまぐろ」で一杯♪
 あまり、いいものがなかったと思って買ったけど、やっぱり脂ののりは、イマイチ!!!それにしても、台湾大西洋まで「びんちょうまぐろ」を獲りに行くのか!!???

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 2022年1月1日の朝刊の「家康@ふじのくに」に、「しかみ像、三方ケ原の戦いと関連ない」という記事が出ていたな!
 徳川家康が三方ケ原の戦いで敗れた姿を描かせ、慢心の戒めにしたとされてきた「徳川家康三方ケ原戦役画像」(しかみ像)について、三方ケ原の戦いと関連づける根拠がないとの説が提唱され、有力視されている。合戦の舞台となった浜松市や出生地の愛知県岡崎市では、展示を見直す動きが出ている。
(藤嶋崇)
◆新説有力に 文献記述なく/礼拝向けか
 この新説を2015年に提唱したのは、しかみ像を所蔵する徳川美術館(名古屋市東区)の学芸員だった原史彦氏(54)=現在は名古屋城調査研究センター主査。口伝として継承されてきたしかみ像の由来を明確にしようと調べた。
 徳川美術館は尾張徳川家に伝わってきた品々を中心に収蔵。台帳記録では、しかみ像は紀伊徳川家から嫁いだ従姫(よりひめ)の所持品とあった。尾張徳川家9代宗睦(むねちか)の養子、治行(はるゆき)と1780年に結婚した際に持参したとみられる。記録に「東照宮尊影」とあり、家康像と伝えられてきたが、戦いの記述はなかった。
 原氏は、三方ケ原の戦いに関する文献も調査。いずれも反対を押し切って家康が出陣したとの内容で、慢心の戒めとして合戦直後の姿を描かせたとする記録はなかった。
 三方ケ原の戦いとの関連で最も古かったのは、1910(明治43)年に名古屋開府300年記念会が発行した「尾張敬公」。敬公(初代尾張藩主の徳川義直)が「自ら戒め子孫をも戒めるため」、家康が三方ケ原の戦いで敗れた姿を描かせたと記されていた。
 この見方は、徳川美術館が開館した翌年の1936年1月に報道され、広く知られるきっかけになった。同月14日付、中日新聞の前身の一つ、新愛知新聞では、美術館を創設した徳川義親(よしちか)らによる座談会が掲載され、義親は「子孫への戒めのために残したものだと思います」としていた。
 原氏は「徳川家の権威が薄れていく中、箔(はく)を付けるため、三方ケ原の戦いと結び付けたのでは」と推測する。片手を頬に当て片足を組んだ仏像のようなポーズなどから、神格化のため描かれたとする松島仁・静岡県富士山世界遺産センター教授(53)=美術史=らの研究を挙げ「武神として礼拝向けに描かれたと見なす方が合理的」と話す。
 この説を受け、しかみ像の立体像がある浜松市博物館(中区)は、三方ケ原の戦いで敗れた姿を描いたとする解説を撤去。展示の見直しを考えている。
 市犀ケ崖(さいががけ)資料館(中区)は、三方ケ原の戦いと関連づけて紹介している。描かせる場面の模型もあり、市中区まちづくり推進課は「解説を変えるなど、展示を見直したい」とする。
 岡崎市では、三河武士のやかた家康館がしかみ像の複製を展示。三方ケ原の戦いと結び付けた解説を添えており、市の担当者は「通説でなくなっている。新たな説も紹介できるよう考えたい」と話す。しかみ像の石像がある岡崎公園やブロンズ像を飾る市立中央図書館でも、対応を検討する。
◆ありえない伝承 今も
 元静岡文化芸術大教授の磯田道史・国際日本文化研究センター教授は、描き方から「家康時代の作でないだろう」と原史彦氏の説に賛同する。ただ、後世になって、三方ケ原の戦いで大敗した家康の苦境をイメージして描かれた絵画の可能性がゼロになったわけではないともみている。
 「三方ケ原の戦いをめぐっては、家康が敗走の途中、農家の屋根に上がり屋根葺(ぶ)きに化けて敵から逃れたなど、ありえない逸話もある」とも指摘。「遠州では弱い家康が今も、ある程度信じられているのが面白い。浜松時代は弱小大名だった地元の家康が天下人となった誇らしさもあるのかもしれない」と話す。
◆「人の一生は重荷を」も後世作
 家康を巡っては、「人の一生は重荷を負(おい)て遠き道をゆくが如(ごと)し」の書き出しで知られる「遺訓」も後世に作られたとみられている。家康の言葉や考えがどこまで反映されているかは不透明だが、今も遺訓として紹介されることがある。
 尾張徳川家21代当主、徳川義宣(よしのぶ)氏(故人)が1980年代前半、家康の遺訓ではなく、「水戸黄門」で知られる江戸前期の水戸藩主徳川光圀(みつくに)が作ったと伝えられる教訓が基で、後に修正が加えられたものとする研究結果を発表。光圀が祖父の家康を敬愛していたことから、家康の教えも継承されている可能性を主張した。
 岡崎市の岡崎城天守閣前には、「東照公遺訓」として「人の一生は…」の文を刻んだ石碑がある。家康が祭神の久能山東照宮(静岡市駿河区)は「徳川家康公御遺訓」の色紙を1,500円で販売するなどしている。落合偉洲(ひでくに)宮司(74)は「家康公の考え方が適切に表現されているのは間違いない。今を生きる人に良い影響を与えており、東照宮信仰の核になるもの」と説明する。
<三方ケ原の戦い>
 元亀3(1572)年12月、遠江(とおとうみ)に侵攻した武田信玄軍が浜松城を攻めずに三河へ向かおうとし、出陣した徳川家康軍と三方原台地(浜松市)で合戦となった。織田信長からの援軍を加えても兵力に劣る徳川軍は総崩れとなり、敗走した家康は命からがら浜松城へ戻った。
 徳川家康を主人公にした2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」放送を前に、家康と地域のつながりを見直し、地元を盛り上げようとする取り組みが各地で進んでいます。こうした動きや県内とのゆかりなど、家康関連の話題を随時取り上げます。
https://www.chunichi.co.jp/article/393740

 2022年1月4日の朝刊に「<家康@ふじのくに> 150年ぶり天下人の「勝栗」再現」という記事も出ていたな!「勝栗」って、縁起物だね!!!
 浜松城を拠点にして戦った徳川家康ゆかりの「光明勝栗(こうみょうかちぐり)」の伝承を引き継ごうと、若き家康に加勢した農家の子孫の鈴木茂宣さん(69)=浜松市天竜区只来(ただらい)=らが、干した栗「かちぐり」の再現に挑んでいる。昨秋の収穫分を久能山東照宮(静岡市)に献上し、2月にある東照宮の御具足祭(おんぐそくさい)でお供えされる。幕末まで江戸の将軍家に献上していたとされ、家康が縁起物として喜んだという文化が150年ぶりによみがえった。
(南拡大朗、写真も)
 鈴木さんが住む集落は天竜川の支流、二俣川沿いの山あいにある。現在も栗林が点在するが、かちぐりを作る習慣は途絶えていた。同じ集落の会社員鈴木冠(たかし)さん(58)と話し合い、想像しながら試作したのが2019年のこと。変色しないように天日に当てすぎず、家庭用の除湿器を使って2カ月かけて乾燥させた。
 地道な手作業で「くじけそうになった」という冠さんは「集落の飲み会などで勝栗の話題はよく出て知っていたが、見たことはなかった。兵糧として正しいのかは今も疑問だが、まずは形にできた」と満足する。冠さんの親戚のつてで東照宮に献上が決まり、昨年末には2kg分を運び入れた。
 かちぐりは戦国時代の保存食といわれ、茂宣さんは「戦闘中にあめ玉みたいになめていたのかもしれない」と想像する。
 では、味はどうなのだろうか。
 作ってはみたものの、二人とも実際に食べたことはないという。浜松市内の家康にまつわる伝承を調査している、市博物館の橋本充悠学芸員は「江戸時代終わりの古文書には、家康が名前がいいと言ったと書いてあるが、おいしいと言ったとは書いていない」と察する。
 それでも江戸時代を通して村から江戸に運ばれ、お正月の将軍家の御膳に並んだと言われている。
 くしくも来年、NHK大河ドラマで40年ぶりに家康を主人公とした「どうする家康」が放送される。三方ケ原の合戦で敗れるなど「弱い」家康像が描かれるとみられ、勝栗が同時代のエピソードとして脚光を浴びる可能性もある。一般に販売する考えは今のところないものの、茂宣さんは「いずれお守りのような形でも使ってもらいたい」と話し、「地域の伝承が若い人の記憶に残り、ずっと続いていってほしい」と願っている。
<光明勝栗の伝承>
 三方ケ原の合戦の直前、徳川家康は光明山(浜松市天竜区)で武田側の大軍と戦い、只来村、山東(やまひがし)村(ともに現在の天竜区)の農民の加勢を受けた。その時に「かちぐり」を献上された家康が縁起物だと喜び、地名にちなんで「高名(功名)勝栗」と名付けた。両村は幕末まで将軍家に献上を続け、代わりに賦役を免除されたという。直接的な史料は見つかっておらず、さまざまな形の話が伝わっている。
https://www.chunichi.co.jp/amp/article/394619

本日のカウント
本日の歩数:4,016歩
(本日のしっかり歩行:0歩)
本日:54.8kg、14.6
本日の餃消費量:0個
割り箸使用量:0膳
COUNTER:252,697(79)

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