「鮒寿司」、そして「サミットの酒 (中) 品質向上 ひたむきに」
今日は「八十八夜」。
八十八夜は雑節の一つで、立春から数えて88日目。5月半ば頃あで遅霜の被害が発生する地方もあり、農家が注意を促す目安の日だったそうです。気候が安定するこの日以降が新茶が出始める時期で、八十八夜に摘まれたお茶は、古来より縁起物として珍重されてきました。
今朝の朝刊のコラム欄より、引用。
<この季節は あかるすぎて/文字が読めないから/水の底の小石の数を かぞえよう/えのころ草の穂をしらべよう>。この詩を書いたのは、岸田衿子(えりこ)さん。茨木のり子さんは『詩のこころを読む』で、この詩人をこう評している
▼<岸田衿子には自分だけの音符というものがはっきりあって、たえず独特の音楽が鳴っています。本も新聞もおよそ読まない人ですが、知恵の木の実は、自然の野山から、人との交流から、ふんだんに採って…>
▼ポーランドの詩人ブロニスワヴァ・ヴァイスも野山から言葉を採る女性だったのだろう。字を使わぬジプシーの一族に生まれながら独学で読み書きを覚え、詩を紡いだ
▼例えば、こんな詩だ。<五月には、世界のすべてが美しくなる、/なにもかもが生きたがる。/緑の草は目を奪い、/金色の太陽は私たちに呼びかける、/森で心を温めなさいと>(武井摩利訳)
▼いま公開中の『パプーシャの黒い瞳』は、詩を愛し、それがゆえに深い孤独も味わった彼女の人生を、潤い豊かなモノクロ映像で描いた映画だ。印象的な場面がある。詩が活字になって反響を呼び、原稿料を渡された彼女が言う。「詩でお金がもらえるなんて、詩はひとりでに生まれて消えるのに」
▼技巧みにつくられ、メッキを施された言葉もある。しかし、草が芽生え、花が咲くように生まれ、消える言葉がある。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2015050202000105.html
録画しておいたビデオを見る。まず「英国一家、日本を食べる」。「日本料理の神髄」、つまり「出汁」だった。
http://www9.nhk.or.jp/anime/sushi/
≪日本橋 だし場≫
次に「満天☆青空レストラン」。「琵琶湖 沖島」の「ホンモロコ」だった。
http://www.ntv.co.jp/aozora/
・ホンモロコの炭火焼き
ホンモロコを炭火焼きにして酢味噌(どろず)をつけて食べる。
(酢味噌:味噌 大さじ2、砂糖 大さじ1、酢 大さじ1)
・ホンモロコの南蛮漬け
鍋で酢1カップ、砂糖大さじ5を熱する。焼いたホンモロコを入れる。野菜(タマネギ1/2、赤パプリカ1/4個、黄パプリカ1/4)を入れる。赤唐辛子1本を刻んで入れる。
・ホンモロコのフライ
ホンモロコに塩、コショウをする。小麦粉、溶き卵、パン粉につけ、油で揚げる。レモン汁をかけていただく。
・ホンモロコの佃煮
鍋で醤油 1/2カップ、砂糖 2/3カップ、酒 1/4カップを煮立てる。ホンモロコを入れる。落としぶたをして30分ほど煮る。みりんを加えて煮る。
≪工房 Chou-Chou≫
☆レアチーズケーキ(湖のくに 蔵出し酒粕 生チーズケーキ)
①酒粕を水でのばしながら鍋で温める。
②クリームチーズを泡立て器でしっかり混ぜる。砂糖と①の酒粕を加える。ヨーグルト、日本酒でのばしたゼラチンを加え混ぜ、濾す。
③よく泡だてた生クリームを加える。
④冷蔵庫で2時間冷やす。
・鮒ずし茶漬け
【鮒ずし】
①ニゴロブナの内臓を取って塩漬けにする。3か月以上寝かせる。
②エラの隙間から炊いた米を入れる。
③ご飯を敷きつめた樽の中に入れ、数か月発酵させる。(米の乳酸菌・酪酸菌)
・ホンモロコの粕汁
http://www.ntv.co.jp/aozora/recipes/2015/04/25/index.html
さらに「ごはんジャパン」。「三河湾産アサリ」だった。
http://www.tv-asahi.co.jp/gohan-japan/
アサリは「ぶっくり(厚い)」ものより「平たい(薄い)」ものの方がおいしい。
<魚太郎>
・三河湾産の刺身(アイナメ・タイラギ貝・ミル貝)
見た目が大きいアサリは殻が厚く身が薄い、見た目の小さいアサリは殻が薄く身が大きい。
「腰マンガ漁」で採る。「ジョレン」だね。
・酒蒸し
・串アサリ(串に刺して干したものを、炙る)
≪ロワ・ドゥ・ラ・ナチュール(Lois de la nature)≫岡崎市
・マグロのシャルロット
・穴子とピラフ フォワグラと共に
★塩水にはちみつを入れ、砂抜きをする。
・三河産のアサリと地元野菜のジュレ
・三河産アサリのみそチャーハン
・アサリとゴボウのスパイシースープ麺
テレビの「花咲かタイムズ」で「ゴールデンウィークにおススメ!激安工場直売店!」をやっていた。
http://hicbc.com/tv/hanasaka-times/
≪ヤタローアウトレットストア≫
静岡県浜松市東区丸塚町169
053-463-8577
9:30~18:00
http://tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22014151/
タケノコ掘りに出かける。
竹林に到着。孟宗竹は、もうあまり生えていないね・・・でも、ハチクかマダケが生え始めていた↑↑↑
ここで、『啄木鳥通信』の「いっぷくマンガ」フクダカヨ 其の三十四・・・「ハチにクマと間違われないように・・・」の引用♪
「明日の公園探検 長袖長ズボンだって?」
「あのね、黒い服とか黒っぽい服とかダメなんだよ」
「ふ~ん」
「ハチがクマとまちがえて刺すんだって。先生が言ってた」
「あ!じゃあ黄色もダメかあ~」
「・・・」
「あ、黄色は大丈夫!」
・フクダカヨ:絵日記歴29年、イラストレーター。
『神様はそんなにひまじゃない~フクダカヨ絵日記』(スペースシャワーブックス)発売中!
http://enikki.cocolog-nifty.com/
帰宅して、タケノコを茹でアク抜きをする。
散歩に出かける「かつおあら」108円、「豆腐」62円を買う。
「酒&FOOD かとう」も行ってみたが、何も買わずに帰宅。
苺がたいぶ熟している。今の品種とは違う昔ながらの苺だよ。昔ながらの味がしておいしいよ!!今日のデザートにしよう♪♪♪
夕方は、先週買った「鮒寿司」で一杯♪♪♪旨いねぇ~↑↑↑日本酒に合うねぇ~↑↑↑
「鮒寿司の食べ方」
・当店の鮒寿司は国産の本仁五郎鮒を使った1級品の1年~2年もの
・洗わずにそのまま1mm~3mm位にそぎ切りにして頭から尾っぽまで捨てる事なく食べて下さい
・鮒寿司の茶漬け
お茶碗の中に暖かい御飯を入れ、鮒寿司2,3切れと、とろろ昆布と刻み塩昆布を少し入れ熱いお湯をさす
・鮒寿司の吸い物
とろろ昆布と刻み昆布に鮒寿司2,3切れを入れて熱いお湯、醤油と調味料を少し入れて食べる
・ゆばの吸い物の中や、藻菜の吸い物の中に鮒寿司を2,3切れを入れて食べる
・開封後はラップをして、冷蔵庫に保存して下さい
びわ湖名産・鮒寿司・なれ寿司専門店 竹後 魚重
京都市中京区錦小路通柳馬場東入東魚屋町169-1
TEL&FAX 075-212-0036
http://www.kyoto-nishiki.or.jp/
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=3000081
http://www.uchiyama.info/kyoto/kyoto_matiya/nisiki/
そして、「千葉県産 かつお アラ」の煮付け。
タケノコや「丸守 もめん」も一緒に煮る。
創業明治30年 老舗の技
昔ながらの生とうふ
浜松市東区有玉西町790-10
0120-88-4112
日本酒と言ったら、2015年1月9日の朝刊「脈々と しずおかの戦後70年」より、「サミットの酒 (中) 品質向上 ひたむきに」の引用♪
最高の酒米求め6年間通う
銀色に輝くステンレス張りの50坪の空間は、気温5度に保たれ、数分いるだけで体が芯から冷えてしまう。立ち並ぶ濃緑のタンク内では、乳白色のもろみが呼吸するかのように発酵し「磯自慢」へと成長していく。
「ここは、私が息子の姿勢を認めた証しです」。会長の寺岡襄(87)はほほ笑んだ。1986年に完成した冷蔵の仕込み蔵だ。「おやじはその年に僕のやる気を感じてくれたそうで」。8代目社長の洋司(58)が専務として蔵に入り、3年目のことだった。
洋司は東京の大学を卒業し、静岡市内の酒類専門商社で数年間修行した。80年代前半、高度経済成長後の大量生産・消費の時代だった。大手メーカーを中心に安価な酒が出回っていら。「同じことをやってはダメ。品質を高めて生き残るしかない」と決意し、実家に戻った。
微生物の働きで刻一刻と変化していく発酵が相手だけに、酒造りの中心の生活に一変した。冬の仕込み期は午前5時前に起床し、断続的に睡眠を取りながら夕方まで作業が続く。2年目まで起きられない日も少なくなかった。
そんな生活のリズムができた3年目。寝坊も無くなり、杜氏と熱心に酒造りで意見を交わすようになった。黙って見守っていた襄に「これなら息子に次を任せられる」と確信が湧いた。冷蔵仕込み蔵の建築は、息子の時代への投資だった。
「品質本位」の路線に拍車が掛かった。蔵の温度が上がりやすい夏場も低温で保存できるようになり、味が格段に良くなった。戦後の米不足、醸造用アルコールや糖質を添加して造った「三増酒」の類は撤廃した。県内でいち早い決断だった。その分、コストが上がり、一部の小売店から「高過ぎて扱えない」と苦情も受けたが、「おいしい酒を造れば分かってくれる」と貫いた。
頑固なまでの姿勢が、地酒に力を入れていた酒販大手「はせがわ酒店」(東京都江東区)の目にとまった。大手の動きは各地の酒販店の間に口コミで広がり、磯自慢にじわじわと全国各地から注文が舞い込んできた。
上昇気流を感じた洋司は、品質追求の矛先を酒米に向けた。「最高の酒米」とされる山田錦の仕入れ先を確保しようと、兵庫県加東市東条地区に飛び込んだ。だが、大半が大手酒造会社を取引先にもつ東条の農家からは相手にもされなかった。
洋司はそれでも休日を利用して通い、田植えや稲刈りを手伝った。ヒルにかまれて赤くなった足をさする様子を笑われたこともあった。6年目、「うちの米を使いなよ」と声が掛かった。
本場の山田錦を手に帰ってきた息子に、襄は安心して経営を引き継いだ。襄が75歳となった2002年、社長が交代した。
洋司社長7年目の08年夏、焼津の酒蔵が日本中に名を知られることになる。北海道・洞爺湖サミットで各国首脳に提供する日本酒の審査で一次、二次ともに一位を獲得した。詳細を知らされぬまま自慢の酒を北海道に送った襄と洋司。開幕翌日にマスコミ取材が殺到し、初めて夕食会の乾杯で使われたと知った。二人とも「驚いて夢のようだった」という。
だが、喜びの余韻に浸る間はなかった。全国からの購入希望で、事務所の電話は、受話器をおろせばすぐに鳴りだす状態が1週間は続いた。
=文中敬称略
(山田雄之)
本日のカウント
本日の歩数9,223歩
(本日のしっかり歩数:4,118歩)
本日:52.6kg
本日の割箸使用量:0本
本日の餃子消費量:0個
(土)×
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