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2015年4月30日 (木)

「大徳寺納豆」、そして「サミットの酒 (上) 焼津で愛される蔵に」

 「越前がに・とらふぐ「喰てみ亭」」より、楽天メール。「子持ち甘えび」の案内♪
・海鮮丼
・お刺身
・から揚げ
・かき揚げ
・手巻き寿司
・海鮮サラダ

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 「北国からの贈り物」より、楽天メール。「だだちゃ豆」の案内♪
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 今朝の朝刊のコラム欄より、引用。
 <九歳のときに、娘のキャスリーンが私に尋ねた。お父さんは人を殺したことがあるのかと…>。米国の作家ティム・オブライエン氏の「待ち伏せ」は、『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳)に収められた、わずか五ページの短編である
▼ベトナムで戦った主人公は「まさか、殺してなんかいないよ」と答え、娘を膝の上にのせて抱く。そうして、娘がまたいつか同じ質問をしてくれればいいな、と思う
▼ベトナム戦争は「画期的」な戦争だったという。兵士がためらいなく「殺人」できるよう葛藤を抑え込む工夫がされた。とにかく条件反射で撃つように訓練する。敵を別種の動物と思うよう仕込む。心が揺らぐ兵には薬物も投与する
▼米陸軍士官学校の教授だったデーヴ・グロスマン氏の『戦争における「人殺し」の心理学』によれば、こうした策の徹底によって「心の安全装置」が外された兵士たちは、それまでの戦争とは桁違いに効率的な「兵器」になったという
▼しかし、心は効率的にはなりきれない。殺人の罪悪感は心の奥に潜み、数十万から百数十万ともいわれるベトナム帰還兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苛(さいな)まれたそうだ
▼「待ち伏せ」の主人公は、ベトナムの戦場で若い男を殺していた。そして、その青年がふと現れては消えていく姿を、見続ける。ベトナム戦争が終結して、きょうで四十年だ。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2015043002000107.html

 自転車TSマークの点検の予約の電話をする。

 今日の仕事・・・。
 T1、T2、T3が、どうなっているの???管理職から話はなかったよ!!!仕事の出来る方々、しっかり伝達してくださいよ!!!

 仕事を終え、帰宅途中、スーパーに寄る。「明治ブルガリアヨーグルト」149円を買う。
 スーパーのところで、交通事故・・・事故見の車がゆっくり走っている・・・渋滞の原因になる・・・あなたが普通に走ってくたら渋滞しないよ!!!こちらの一旦停止からもすぐに出られたよ・・・!!!

 喉が渇いたから、帰宅して、ビールを飲む。この間買った「サッポロ黒ラベル」・・・あれっ、「絶対もらえるキャンペーン」のシールないの???安かったからしかたがないのか???サッポロさん、しっかりしてくださよ!!!

 パソコンと格闘していると、玄関の呼び鈴の音が・・・出てみると、いきなり「ありがとうございます」だって・・・セールスか???こちらは忙しいんだから!!!迷惑な訪問だった!!!

「大徳寺納豆」、そして「サミットの酒 (上) 焼津で愛される蔵に」

 この間買った、「大徳寺納豆」で一杯♪美味しいねぇ~♪日本酒に合うね↑↑↑
「大徳寺納豆」、そして「サミットの酒 (上) 焼津で愛される蔵に」

大徳寺納豆の栞
 古くは奈良時代に中国から伝えられた「唐納豆」は、宮中でも作られ、後に禅の教えと共に、大徳寺住職であった一休宗純が、その製法を伝えたとされます。
 禅僧の貴重なタンパク源として、日常の食事に用いた保存食であり、喜捨をしてくれた檀信徒に、御礼として返されるお寺の贈り物でもありました。
 大豆にはったい粉をまぶし、発酵後、塩水に浸し、真夏の炎天下、一日に何度もかき混ぜ干しあげる重労働は、禅僧の作務として「無心」を体得する修行のひとつでもあり、京の酷暑の産物です。
 この大徳寺納豆の酸味と旨みと熟れた塩味は、独特の深い味わいをもたらし、比類なき禅の味として、京を訪ねる食通の方々に広く愛されております。
「お召し上がり方」
 一粒丸ままではなく、お好みに合わせて、小さくちぎってお召し上がりください。
 甘いお菓子の後のお口直しや、箸休め、日本酒などのお酒のおつまみに喜ばれております。
 また、梅干や塩昆布の代わりに温かいご飯に添えたり、お茶漬け、おかゆなどにのせて、お試しください。
 糸引き納豆、焼き飯、和え物や味噌汁に隠し味として少量加えていただくと、味にコクがでます。
 チーズにのせてアクセントにしたり、また、麻婆豆腐や炒め物など、豆鼓の代わりに調味料としてお使いいただくと、大変美味しくいただけます。
「美味しくお召し上がりいただくために」
 大豆を主成分に、自家製法によって丹念に作り上げた本製品は、月日を経るごとにその風味を増し、より美味しくいただけます。
 冷蔵庫で保存されますと乾燥しやすく風味を損ないますので、蓋の付いた容器に移し、常温で保存して頂く事により、一年以上美味しくお召し上がり頂けます。
京・紫野大徳寺正門前
松田老舗敬白
原材料名:国産大豆・はったい粉・塩
松田老舗
松田 茂
京都市北区紫野下門前町37
TEL 075-492-4679

 「大福寺納豆」って、「浜納豆」や三ヶ日の「大福寺納豆」と似ているね。
室町時代から伝わる珍味「大福寺納豆」
 浜松地方の名産である「浜納豆」の元祖といわれる珍味で、室町時代から生き続ける納豆菌を使い、大福寺で手作りされています。
 納豆といってもいわゆる糸引き納豆とは味も外見も異なり、糸は引かずポロポロ乾いた濃いみそ色の豆粒です。個性的な味ですが、お酒のおつまみなどに愛好する方が多いとか。山椒の木の皮が入っているのが、大福寺独自の味。180g700円。
※毎年11月初めから5月ごろまで販売。売切れ次第終了。
「大福寺」
茶人が愛でた庭園
 大福寺は平安時代に創建された真言宗の古寺で、浜名湖とつながる猪鼻湖を望む山腹にあります。まずは長い参道を進み、仁王門を拝観。門の左右に記された鎌倉時代の金剛力士像は、力強く迫力があります。
 江戸時代の茶人・山田宗?が愛好したという庭園は、背後にある山を生かした造形。大きな池が、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
大福寺庭園
 静かに座って鑑賞してもよし、池をぐるりと巡って変化する姿を眺めてもよし。樹齢300年以上といわれるイチョウの木が圧巻です。
浜松市北区三ヶ日町福長220-3
TEL 053-525-0278
料 大人500円、中高生250円、小学生以下無料
営 9:30~16:30
休 不定休(年間15~20日ほど臨時の休みあり)

 ここで、2015年1月8日の朝刊より、「脈々と しずおかの戦後70年」の引用♪
海の幸に合う辛口 追い求め
 蔵の北側にある事務所二階に、寺岡襄(87)は朝から夕方まで引きこもる。手元のそろばんは50年以上使ってきた。毎月の収支、日本酒をろ過した時の記録などの数値をはじき出し、米粒ほどの小さな字で記していく。
 その部屋の一角に青や黒、紫のカラフルな酒箱が並ぶ。「中取り純米大吟醸35 磯自慢」。翻訳すると「精米歩合35%の白米で造ったもろみから、搾りの過程で一番おいしい部分でできた酒」。2008年夏、北海道・洞爺湖サミットの初日、当時の福田康夫首相が開いた夕食会で乾杯に使われた銘柄だ。「自分が蔵を継いだ時を思うと、夢のような出来事だった」
 1952年秋、25歳の襄(のぼる)は銀行員を脱サラし、5歳下のあつ子と結婚して寺岡家に婿入りした。間もなくして6代目から経営を譲り受けた。焼津市鰯ヶ島で天保元(1830)年から続く蔵の7代目社長。精米、麹造り、仕込み、瓶詰めまで、杜氏やお手伝いら5人での作業は全て新鮮だった。
 造る楽しさと裏腹にやりくりは苦しんだ。太平洋戦争の影響が残っていたからだ。日中戦争が始まった37年、前年実績を基に各蔵は造られる日本酒の量が制限された。36年に減量調整していた磯自慢は68石(1石は10斗=180L)しか生産できなくなった。一升瓶で年間7000本足らずの量に当たる。
 「県内で一番少なかった。生計なんてとても立てられなかった」と襄。社長に就任して5年目ごろまで綱渡りの経営は続いた。蔵を譲り、地元の信金に勤めていた義父の援助も受けた。だが、義父から「大変だったら辞めてもいいぞ」と言われるたびに、首を横に振った。
 転機は57年ごろ。親しい藤枝市の蔵が倒産したため石数を譲ってもらい、200石分を生産できるようになった。直後に焼津の小売店が集まった会合で、襄のそばに座った店主がみんなに言った。「地元に一軒しかない酒蔵なんだ。俺たちで盛り上げよう」。握った拳にぐっと力が入った。多くの店主が同意し、取引を増やしてくれた。「焼津で愛される蔵でありたい」。このときてた誓いが今も経営の根底にある。
 「磯自慢」は、海から近い立地を誇って付けられた。その名に恥じぬよう、海の幸に合う辛口仕上げ。苦労して造り、苦労して売る。「自身の手で商売をしたい」と思って蔵を継いだ時から覚悟があった。杜氏と麹室で眠ってしまうほど夢中で酒を造っていた。
 他の蔵が経営安定のため積極的に行っていた灘(兵庫)や伏見(京都)などの大手メーカーへの桶売りは一切しなかった。「こだわった酒を焼津の人に飲んでほしい」。磯自慢は80年ころまで焼津でしか販売されていなかった。
 襄が思うに、「品質本位」の路線が揺るぎないものになったのは86年ごろ。大規模な施設投資をめぐり、長男の洋司(58)と意見を交わした。「俺は質で生き残ろうと思う」と父から持ちかけると、静岡市内の酒類専門商社で経験を積んで戻ってきた息子は「俺も賛成だ。おやじ、やろう」。後に、世界各国の首脳が口にする日本酒が、”発酵”を始める運命の決断だった。
=文中敬称略
(山田雄之)

本日のカウント
本日の歩数9,774歩
(本日のしっかり歩数:0歩)
本日:52.6kg
本日の割箸使用量:0本
本日の餃子消費量:0個
(木)×

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