「松花堂弁当」、「ちりめんじゃこ」
今日も、さわやかウォーキングに参加しようと思っていたのだが、昨日の疲れが残っているようだ。今日は、ゆっくり過ごすことにする。
午前中、ゆっくりした後、ホームセンターやスーパーに散歩に出かける。
知久屋で、ただ今セールス中の松花堂弁当を買う。お米に黒米が使ってある。
http://www.chikuya.co.jp/
今日の昼食は「知久屋」の「松花堂弁当」540円のところ460円。
ちなみに「松花堂弁当」って何だろう?インターネットで調べた見た。
松花堂弁当(しょうかどうべんとう)は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられる。しかし源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なる。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年 - 1639年)に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからである。昭和の始め(昭和8年(1933年)頃とされている)、代々式部卿を務めた貴志宮家の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭である大阪の「吉兆」の創始者である湯木貞一が、貴志家の当主、貴志奈良二郎(二代貴志泉松庵)よりこの器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じられ、後にその事が話題となり、松花堂弁当の名が広まった。十字形の仕切りがあることで、見た目が美しいだけでなく、互いに味や匂いが移らないと考えたためである。湯木は、当時他家から松花堂弁当の依頼を受けると、その都度貴志家への挨拶を怠らなかったという。
異説として「松花堂昭乗が、上記の十字の仕切りがはいった箱に料理を盛って、来客をもてなした」とするものもあるが、おそらくこれは後世の創作あるいは誤解に基づくものであるとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%8A%B1%E5%A0%82%E5%BC%81%E5%BD%93
「ダーチャ佐野」に行き、トマトのやごをとる。「やご」って「脇芽」のことだよ。
そして、キュウリに支柱を立てる。
百均にB5のファイルを買いに行く。B版はもうないのかな。買いたいファイルは見つからない。
夕方は、もやしだらけで一杯。
ここで今日の新聞に載っていた「ちりめんじゃこ」について。
イワシの稚魚を干したものがちりめんじゃこです。丸ごと食べると、カルシウム、鉄分などを豊富に取ることができます。大きな魚だと、骨や内臓は除かれるので、こうはいきません。シラスはゆでただけのもので、これも旬の茹でたては非常においしいものです。いずれも小さいので、一層鮮度が命です。茶色く変色し始めているものは避けてください。小粒のほうが上物とされ、口触りも良いのですが、大粒の方が、それだけカルシウムを多く取れることになります。
肴用のじゃこ入りのコールスロー(細かく切ったキャベツをドレッシングであえたサラダ)を作ります。
①1人前、キャベツ2枚、生ワカメ同量くらいを2cm角に切る。
②モヤシ一握りとともに、熱湯で一分ゆで、水に30秒とり冷まし、水切り
③千切りスライサーでおろしたニンジン1/4とじゃこ大さじ2を加える。
④マヨネーズ小さじ1で、すべてをあえ
⑤練りからし小さじ1を酢小さじ1、しょうゆ少々で溶き、最後に混ぜ入れる。
おかず用よりマヨネーズを少なくするのがミソ。野菜類はあり合わせで結構。
本日のカウント
本日の歩数:10,725歩
(本日のしっかり歩数:5,711歩)
本日の割箸使用量:0膳
本日の餃子消費量:0個
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