夏目漱石の駅弁
2007年10月11日の夕刊に、夏目漱石の「三四郎」に登場した駅弁を復活させる計画が載っていた。
ことし生誕140年の文豪・夏目漱石(1867-1916年)が発表した小説「三四郎」に登場する東海道線浜松駅で食べた駅弁を復活させようと、浜松市の老舗駅弁会社が計画している。復活を進めているのは1854(安政元)年創業の駅弁会社、自笑亭=同市中区神田町、9代目山本孝美社長(66)。同社は1888(明治21)年の東海道線開通を機に浜松駅で駅弁を販売した。
「三四郎」には、主人公・小川三四郎の乗った汽車が長く浜松駅に停車し「浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った・・・」と、わずかな行数だが書かれている。浜松駅では自笑亭の弁当しか売っておらず、三四郎が食べたのは同社の弁当ということになる。漱石も浜松駅で同じ弁当を買って食べたことが類推される。
山本さんは10年前「三四郎」に自社の弁当のことが記載されていることを知り「駅弁の復活はわが社がやらなくては」と計画を描いてきたが、社業が多忙だったこともあって、なかなか実現できなかった。
駅弁復活のことを忘れなかった山本さんは、大戦で当時の駅弁資料がすべて焼失していることから、同業者から当時の駅弁の中身を聞いたり、著作権について調べたりして復活の準備を進めてきた。
漱石が食べた当時の駅弁について山本さんは「業界で”三種の神器”とされる卵焼き、かまぼこ、焼き魚と野菜の煮付けが入っていたのでは」と推測。今後、駅弁復活に向けて地元の食材を生かし、漱石に似合う駅弁のパッケージや名前、今の人にも合う味付けなどを考えていくという。山本さんは「できるだけ早く実現させたい。夏目漱石にふさわしい文化の薫りが漂う駅弁に仕上げたい」と話している。
【三四郎】
1908(明治41)年に発表された。主人公・小川三四郎が九州から東京大に入るため上京。東京でさまざまな人と交流し、社会批判を交えながら人間として成長していく過程を描いている。「それから」「門」とともに漱石の前期3部作と呼ばれているうちの最初の作品。
「自笑亭」
http://www.jishowtay.com/
どうなんだろう。昔は、卵焼きが御馳走だったと思うのだが、それを復活させて、現在にアピールする駅弁になるのだろうか?人気がなくなったから、消えた駅弁ではないだろうか?でも、食べてみたい気がする。
| 固定リンク
« 信州食イベント3 | トップページ | うなぎ藤田 »
コメント